kim-yh’s diary(学問のふくろう)

研究や、日々の思考を文字化しています。

中国語随想:日常生活と関連深い朱子学

先代の知恵は今を生きる私達に進む道に躓くたびに一筋の光のようにいろいろな角度から導いてくれたりする。「哲学をやれ」とよく学生にも伝えているが、それほど、人間の本質を探究することは、今を生きる私達にとって大切なことである。

引きこもり問題や、なかなか時間の約束に間に合わせることができなく、不登校になったりする子達がいるとする。彼らの心理状態を見てみると、短編的かもしれないが、「時間が近づくにつれて、だんだん嫌になる、鬱になってしかたがない、面倒くさく感じる…何気ないときにも無意識に気にかけてしまう、予定があると常にストレスを感じてしまう…嫌過ぎて何かと理由をつけてドタキャンしたくなる、いろいろ考えすぎてしまい、楽しさよりも不安、面倒のほうが大きくなってしまう」…しかし、当日に実際遊んでみると普通に楽しいし、今までの鬱は何だったんだろうなと不思議なほど一気に解放される... こういう状態を毎回繰返すのであるゆえに、毎日の登校や通勤となるとものすごい圧力となってそのストレスから抜け出せず、つぶれてしまい、不登校になってしまうのだ。

そういうときに、役に立つのが朱子学の精神である。我々の祖先は、多分自分達の子孫が意外なところで自分達の教えより救われているとは思わなかっただろう。

さあ、そもそも朱子学とは何なのか?

儒教の思想を基にした、実践を伴なうという考えである。朱熹の理論では宇宙は「原理」と「運動」の二つから成り、原理のことを「理」、運動のことを「気」と称した。人間の本性は「理」か「気」なのか?自然科学的な視点から、宇宙は「理」、気は「心」と解釈したのである。心は常に変わりつつあるので、本性である「理」を常に確認しなければならない。その反対の主張をしたのが陸である。

宗教も同じであるが、祖先の知恵を自分なりに解釈して我々の生活に融合させ、生きる羅針盤にしていくのは心の養食でもある。

やりたいことがみつからないと立ち尽くしたり、やりたいことしかやりたくないと狭い了見は捨てて、とりあえず目の前のやるべきことに正面から向き合ってみる。気持ちが楽になるのをきっと感じるだろう。これが朱子学の日常化との接木であるのだ。